› 自然・山部会です › 2012年12月14日

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Posted by 滋賀咲くブログ at

2012年12月14日

第4回 里山「森づくり塾」その2

午後からは現在の里山の地図と照らし合わせ探索に出かけました。
(当時の絵地図)



 古川講師の説明     
新林道脇には地元の郷土史会が調査して建てられた
標識があり「山境の”堀切”をところどころに設けた」と記されています。


  
「山争いの境界」は山の中の尾根を分断して堀切がつくられました。
たぶんこの状態からみると境界として作られた堀切ではないかと
思われるが場所が随所に見られました。
300年以上前のことですが、切実感ある住民の思いはこれで
届いたのでしょうか。

途中には城山城あとの堀切
があり、古川講師より石垣などについて説明がありました。
山城といえど立派な石垣があり堀切は敵兵を寄せ付けないほどの深さに
なっていて「境界争い」の堀切とは格段の差があるというのがよくわかります。


里山の歴史を深く知れば知るほど、”おらがやま”への愛着があります。
ときおり、粉雪がちらついたりしていましたが、里山歩きを楽しみ「第4回森づくり塾」も笑顔で終わることができました。皆さん、ありがとうございました。またお会いできるのを楽しみにしています。
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Posted by ここあ at 10:23Comments(0)森づくり塾

2012年12月14日

第4回 里山「森づくり塾」 その1

年4回開催している森づくり塾は最終の講座となり
12月9日(日)に開催しました。
参加者は20名


銅鐸博物館で今年の3月まで館長をしておられた古川世志継氏を講師にお迎えして「城山の歴史をめぐって」ー境争論を中心にー大篠原・小堤・辻町に起きた境界争いについてお話をお聞きしました。
   
歴史は古く約300年前の絵図や京都町奉行の栽許状などの説明もありました。
     
 立合絵図 
           
 裁定絵図

その時出された京都奉行所の裁許状には
絵図を見せ地面を見分させて、山境を極めて
ところどころに「堀切」を掘らせて今後はこの「堀切」を両村の境として
お互いに越境せず、裁許の趣旨をしっかり守るべきであると書かれています。


こういった絵図や文書が残っていたので、先人たちの暮らしぶりがわかり
大変興味ある講座となりました

その2へ続きます  


Posted by ここあ at 09:51Comments(0)森づくり塾